日日草(にちにちそう)

『日日草』を7月30日上梓いたしました。

詳しい内容はこちらから。

高知新聞社で連載させていただいたエッセイをまとめたものです。

 

装画 織田信生

装丁 大原信泉

織田様、大原様ありがとうございました。

 

北冬舎の柳下和久様、ありがとうございました。

編集の力というものを知りました。通して読むことで、昭和という時代が浮かび上がってくることに気づいたとき、あらためてその手腕をありがたく存じました。一冊の本が誕生する瞬間を、自らの本を通して味わうことができました。心から感謝いたします。

 

定価2000円+税

ご注文は電話&FAXでどうぞ。

北冬舎 03-3292-0350

なお、全国の書店からご注文いただくことができます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

あとがき

 

 昨年十二月十八日、朝、高知八幡宮にお詣りしました。わたしの家の神棚には、この神社でいただいた父の二十年忌祭、母の十年忌祭のときのお札が納めてあります。八幡さまのこの場所は、旧山田町。わたしが生まれたとき、両親が住んでいたのもこの町でした。

 一緒にお詣りをした酒井の叔母が、「あんたらあの小さいとき、毎日のように来て、ここで走り回りよったぞね」と教えてくれました。「あんたらあ」というのは、わたしといとこのことです。手水で手と口を浄め、お詣りをしてから、おみくじを引きました。叔母は、大吉。わたしは末吉。上等です。

「来年は、えいことがあるがやねえ」

 雲一つない青空の下で、叔母の顔はうれしそうでした。叔母は八十歳になりました。

 その叔母が、明けて一月、脳出血で倒れ、介護が必要になるなんて、この日、誰が想像したでしょう。そして、『日日草』のなかでは、まだまだ元気な叔母。父も母もいなくなった後も、わたしの故郷は、叔母が住んでいる高知でした。

 人は、いつかは老いて死んでゆく。それは、わかっているのです。そして、その日は誰にも訪れることも。それでも、叔母とは一日でも長くいっしょにこの世にいたい、と願います。

 この『日日草』は、今から十四、五年前に「高知新聞」に連載させていただいたものです。「日々の連なり」として、執筆時は文章題を“尻とり”の形で、一話ずつつないでゆきました。このたび、一冊の本にするにあたって、わたしの生きる時間に添って、再構成しました。

 連載のお話をくださった、当時の学芸部編集長の片岡雅文さま、ありがとうございました。織田信生様には、連載時のカットを使わせていただくことをご了承いただきました。ご厚意を感謝いたします。また、大原信泉様、素敵な装丁をありがとうございました。

 今回、一冊の本になるにあたり、あらためて目を通してみると、ここには、あのとき書かなければそのまま消えてしまったであろう時代の気持や風景が息づいていました。それは、とてもとても懐かしいものでした。この「日日草」に光を当ててくださった北冬舎の柳下和久様に心より御礼申し上げます。

 お読みくださったみなさま、ありがとうございました。

            平成二十三年三月三日

                                著者